『踊る大捜査線』
もう10年前のことである。博士課程も佳境にはいったころ、日本で『踊る大捜査線』が大ブレイクした。ビデオでそれを観て、ハマった。
警察は会社。警察官はサラリーマン。警察組織は出世競争の道具。このテーマと、そのころ感じていた大学という組織に対する自分の問題意識がガッチリとフィットしたのだ。
そのころは自分のフィールド(応用言語学、コンポジション、レトリック、TESOLなど)をどうすれば改革することができるか、第2言語ライティングという目の前にある、しかし誰にも見て見ぬフリをしている―否、目の前にあることに気づいてさえいない―問題と、それを取り扱う研究者や教員の地位を、英語学科という保守的で階級主義的な組織の中でいかに向上させてゆくか、ということを考えていた。
具体的な方法論として選んだのは歴史的研究。これならば文系の英語・ライティング研究者も真剣に捉えてくれるからだ。しかし、それだけでは足りないと感じていた。
室井管理官が警察組織を変えるためには上に行かなくてはならないと感じていたように、自分も大学組織や、自分のフィールドを変えるためには上に行かなくてはならない。と強く感じていた。
だから自分の論文は一流のジャーナルで出版した。新しい国際学会も起こした。既存の学会の運営にも常に積極的に参加した。学内だけでなく、ほかの大学の大学院生や若手の研究者の支援にも尽力した。そして複数の分野のあらゆるトピックに関して、一般の研究者以上の知識を蓄えるよう努めた。
そうしなくては人を動かすことができないからだ。
そうやって10年がんばった。その甲斐あってか、第2言語ライティングは応用言語学でも、英語教育でも、コンポジション&レトリックでも、誰もが認める重要なフィールドとなった。
しかし、安心していてはいけない。
今日、それでも閉鎖的且つ保守的な分野や大学組織の政治の板ばさみになっている一教師と話す機会があった。
大学には古い考え方の人間もいる。ほかの分野はおろか、自分の分野の最近の研究の動向さえも知らず、自分の既得権を守ることしか考えていない輩がうようよいる。レトリックを専門にしながら、ソクラテスの「無知の知」の意味を本当に理解できていない者がいる。第2言語ライティングの重要性に敬意は表しつつ、実際は何一つ変えようとしない人間もまだまだたくさんいる。
そういう人間に苦しめられているというのだ。
大学組織の問題点を目の当たりにするのは日常茶飯事だが、自分にはそれを長い目で見る余裕がある。しかし、現場の教師(自分も現場の教師ではあるが)や駆け出しの研究者にはそんな余裕はない。生きるか死ぬかの世界である。大学という組織の政治を前に、何もできないのである。
話を聞くこと以外、何もしてあげられないのがもどかしかった。ただ「上に行け」というしかなかった。
もっともっと上に行かなくては、と思った。自分のためにではない。大学という組織に駒のようにあしらわれている「所轄の捜査員」たちのために。そしてそれよりもっと力のない、学生たちのために。
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